子は親の鏡

先日、詩吟の吟詠大会に行って来ました。

いわゆる、詩吟を勉強されている方達の発表会ですね。


その中で、とても心に残る詩がありました。

会場からは、すすり泣きの声も静かに聞こえるほどです。

たくさんのお客様が この詩に 何かしらの感銘を受けたのでしょう。


中国大唐時代(今から1200年あまり昔)の 中唐時代の

「白楽天」(はくらくてん)という詩人の詩です。

75年の生涯で 3800余首の詩を残しました。

浮沈定めない生涯を「憂えず、おそれず、又迷わず」と悟り

悠然と人生を全うした 人生の達人です。 



「燕の詩、劉そうに示す」(つばめの詩、りゅうそうに示す)


梁上に双燕有り
翩々たり雄と雌と
泥をふくむ両てんの間
一巣誌四児を生む
四児日夜長じ
食を索めて声孜々たり
青虫捕え易からず
黄口飽く期無し
紫爪やぶれんと欲すといえども
心力疲れを知らず
須ゆにして十たび来往し
猶お巣中の飢えを恐る

辛勤三十日
母は痩せて雛漸く肥ゆ
喃々として言語を教え
一々毛衣を刷く
一旦羽翼成れば
引いて庭樹の枝に上らしむ
翅を挙げて回顧せず
風に随って四散して飛ぶ
雌雄空中に鳴き
声尽きるまで呼べども帰らず
却って空巣の裏に入り
ちゅうしょうとして終夜悲しむ

燕よ燕 汝悲しむこと勿れ
汝 当に返って自ら思うべし
思え汝の雛たりし日
高く飛んで母に背きし時を
当時の父母の念
今日 汝 応に知るべし



ちょっと長い詩ですね。


訳:

雌と雄の燕のつがいがおりました。
泥を運んで巣を作り、かわいい4羽の子供が産まれました。
4羽はとても元気で 耐えずお腹を空かせ 餌をねだります。
父燕も母燕も 
昼となく夜となく 子供のために なかなか捕まらない餌を探して
飛びまわります。
やがて羽は破れ、疲れもひどくなってきました。
それでも、両親の心の中は
子供の燕がお腹をすかせてはいないか、そればかりを恐れるのです。

やがて30日もたち
母燕はすっかり痩せて 代わりに雛は立派に成長しました。
言葉を教え、羽の使い方を教えます。
とうとう 空中に雛鳥が飛ぶ日がやってきました。
すると、どうでしょう。
四羽の雛鳥達は、後ろを顧みる事もなく
四方八方へと あっという間に飛び去って行ったのです。
父燕も母燕も、声の限りに雛鳥達を呼びますが
2度と姿を見せる事はありませんでした。
今まで6羽で暮らしてきた 巣に夫婦で戻ると 悲しみばかりが襲ってきます。
父燕も母燕も 日々 泣き暮らしました。


燕よ。燕。悲しむ事などないのだよ。
お前達、自分がしてきた事をよくよく思い返してみるがいい。
お前達も、かつて 父母の巣から飛び立つ時
後ろを振り向く事があったか。

今 まさに その時の父と母の心のうち知る事ができたのだよ。



これを「因果応報」と言ってしまえばそれまでなのですが

私は、この詩をそのように解釈しようとは思いません。

子育てが済んで、子供が巣立つ時、子供の成長を誇りに思うべきだと思うのです。

親の役目を果たしたのだと 自分を誇りに思うことが大切だと思うのです。


子供は親の所有物ではありません。

子供には子供の人生があるのですから。


それでも、「子供は親の鏡」と言われます。

巣立って行った子供達が 世間様にご迷惑をかける事のないよう

日々 祈り、自分の行いも省みる事が大切なのだと

この詩に教えられました。




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