他人様は、自分を写す鏡

仏教では

自分からでも 他人からでも

「自分」を気付く事が出来るのは

ほんのごく一部で、それは氷山の一角である、と

言われています。

自分自身の本質は、海面の下に隠れてしまって

ほとんどの部分は見えていないのだ、と言われています。


●周りの人からみた、あなたの姿

1.「気付いている」部分

2.「気付いていない」部分

●あなたが見た、あなたの姿

3.「気付いている」部分

4.「気付いていない」部分


もう これだけ大まかに分けても、「自分」が

4つに分けられてしまいました。


では、なぜ「自分」の事は見えないのでしょう。

自分の顔は、自分で見る事が出来ません。

鏡に写っている姿でさえ、左右が逆になっています。


では、他人から見た「自分」の姿が 絶対に正しいのか。

そうは言い切れませんよね。



人間が、「自分」を見えなくさせる理由は

「うぬぼれ」である、と、仏教では説かれています。


うぬぼれ心について

仏教では七通りにわけていて、

七慢(しちまん)と教えられています。

私達は自分を少しでもよく見たい、という強い心があります。


自分の姿を少しでも良く見せたい

自分は人から見たら、こんな風に見えているに違いない

自分は、あの人よりはマシだと思う

自分の思っている事が絶対正しい・・・・


そんないい加減な「心の定規」誰でもお持ちですよね。



■仏教の七つの自惚れ■

慢(まん) 

過慢(かまん)

慢過慢(まんかまん)

我慢(がまん)

増上慢(ぞうじょうまん)

卑下慢(ひげまん) 

邪慢(じゃまん)

この七つです。

また機会がありましたら、御説明させて頂きますが

読んでいるだけで、自分が恥ずかしくてたまらなくなって

逃げ出したくなってしまいます。


あの有名な親鸞聖人でさえも、この「うぬぼれの心」には 手をやいたそうです。

ああ、これを聞くとほっとします。

●9才で天台宗比叡山に出家なされた親鸞聖人は、

20年間 命がけのご修行に打ち込まれました。

それは、欲や怒りや愚痴や、うぬぼれなどの

108の煩悩との戦いでした。


その中でも最後まで苦しまれたのが

うぬぼれ心の慢だといわれます。

お山での修行や学問ができればできるほど

(お前達は、こんな事も出来ないのか!)

(自分はこんなにやっているのにどうして・・・)

と、人を見下しうぬぼれるこの心だけは

どうにもならず、

泣く泣く29才の時に山を降りられたのだそうです。



私は、「他人様の姿が、自分を映す鏡なのだ」と、自分に説明しています。 

「自分」の姿が見えないように、「他人様の心」の中もまた

ただ単に、自分の想像でしかないわけですから。

と、言う事は

「あの人は、こう思っているに違いない。」と自分が思ったとしましょう。

でも、それはあくまで「自分」が経験した事から連想される想像の姿であって

本当の事はわからないわけです。

まさに「他人の振り見て、我が振り・・・」なわけです。


怖いですよねー。


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